1.2 情報科学技術とは何か、またその特質とは

情報を生成・伝達・加工する作業の本質について整理したが、そうした本質を持つ作業を行なうための情報科学技術の研究とはどういうものなのか、そして研究の成果としての情報科学技術[1]にはどのような特質があるのかについて説明しよう。

デジタル化と計算化の手法

情報科学技術の研究は、ひとことで言ってしまえば、いかにして様々な情報をデジタル化し、また様々な情報処理を計算化するか、という手法の研究である。「コンピュータに載せる」という言い方があるが、非常に大ざっぱにいえば、そのための研究である。

2進列(0と1の列)という非常に単純なものすべての情報を表わそうというのは単純なことではない。単純な基本計算だけですべての処理を表わすのも同様である。実は「単純でない」には二つの側面がある。やり方が難しい、という面と、表わし方が難しい、という面である。例を二つ挙げて具体的に説明してみよう。

例1:デジタル化・計算化の難しさ(やり方の難しさ)

デジタルカメラで撮影した100万枚の写真データの中から、指定した人がよく撮れている写真を選び出す、という情報処理を考える。人の指定には、その人の写真(これもデジタルカメラで撮ったもの)を与えることにする。

この場合、一番難しいのは「よく撮れている」の計算化だろう。どのような基準にすれば計算化することができ、また多くの場合満足のいく結果が得られるかを考えることである。また、指定された人物の写っている写真自体を探すこと自体も単純ではない。デジタルカメラのデータは2進列である。その2進列をどのように走査すれば対象の人物(これもデジタル画像で与えられている)を探すことができるのか、その方法を考えなければならない。

さらに、同じ100万枚の写真データに対し、この選び出すという情報処理を1000人の人に対して行なう必要があったとする。その場合、100万枚の写真データをそのまま0と1の列で持っておくのは無意味かもしれない。人の探索と「よく撮れている」の基準の計算を効率よく行うためには、元の写真データを別の0と1の列で表わしておいた方がよいかもしれない。効率のよい処理をするためには、デジタルデータとしての表現の仕方自体も目的に応じて考え直してもよいのである。目的のためには「やり方」を選ばない、それだけに新しいアイディアが重要になってくるのである。 

例2:デジタル化・計算化の難しさ(表し方の難しさ)

 六法全書をコンピュータで利用できるようにすることを考える。いわゆる「コンピュータに載せる」ということである。

もちろん、六法全書にある条文をそのまま文字列として(そしてそれを0と1の列に変換して)デジタル化することもできる。しかし、それでは利用面では紙に書かれたものと大差がない。検索などが容易なように構造化しなくてはならない。

ただし、六法全書のように複雑な対象の場合、どうしても人間が構造化をしていかなくてはならないだろう。その場合、かなり複雑な作業になるため、間違い、あるいは、誤解による誤った構造化を防ぐ工夫が必要である。どのようにすれば複雑な構造を、人にわかりやすく表わすか、が重要となってくるのである。また、人での作業の誤りを減らすための補助システム、検査システムの開発も必要だろう。

本質的に複雑なものを複雑なまま(場合によっては、利用しやすいようにさらに複雑にしつつ)デジタル化し計算化するための、表現法や支援方法が重要となってくるのである。

こうした情報科学技術の研究、そして得られる成果としての情報科学技術の特徴の一つに汎用性がある。そもそもコンピュータ自体、非常に汎用である。たった1台のパソコンで、ワープロにも、通信機器にも、ちょっとした科学計算にも利用できるのである。

この汎用性は、すべてのものが究極的には2進列という同じもので表わせること、そしてすべての情報処理が同じ基本計算の組み合わせでできることにも関係している。あるデジタルデータに対して有効な方法が、別のデジタルデータに対しても有効である場合が多々あるからである。

たとえば、2進列の中に与えられた2進列のパターンを高速に探し出す計算方法(パターン検索アルゴリズム)を発見したとする。それは先の例の写真の検索にも使えるかもしれないし、六法全書の中の条文の検索にも使えるかもしれないのである。

この考え方は、情報科学技術の特徴のもう一つの特徴である階層化につながる。

原理的には単純な基本計算の組み合わせですべてが実現できるのだが、すべてを基本計算から作り上げると非常に複雑になってしまう。そこで上のパターン検索アルゴリズムのように、多くのシステムで共通に使えるものを部品として作っておき、それらをあたかも基本計算のようにして新たなシステムを作るのである。さらに高度な部品を作ることも多い。

このような部品群の集まりが階層をなす。基本計算から直接作り上げた部品群、さらにそれらを元に作り上げた部品群、という階層である。

ここで大切なのは、上位の階層では下位の階層で作られた部品の仕組みが重要ではなく、どんな処理結果を出すか、という仕様だけが重要であるという点である。つまり、同じ処理結果を出す部品ならば、いつでも別の部品に入れ替えることができるという点である。この考え方は(処理の)抽象化と呼ばれている。

部品の仕様を明確にし、抽象化を確実にしておけば、同じ仕様を満たす部品との組み合わせが自由にできる。それが様々な情報科学技術の開発に大きな自由度を与えているのである。たとえば、従来と同じ仕様を満たす部品で、さらに従来にない機能を持たせた部品を提供することで、これまでのシステムも同時に生かしながら、新たな利用法も提供できるという拡張ができる。これが情報科学技術の変化の速さの一因にもなっている。ただし、仕様が合わないために、優れた仕組みでも(すぐには)利用できないという状況も比較的頻繁に起きている。

 

大量のデータ処理

情報処理の高速化と自動化は大量の(デジタル)データを生み出すことにつながる。情報科学技術の重要な課題は、こうした大量のデータをうまくさばき、我々にとって有益なデータを作り出すことである。そのためには、電子化に伴って得られる単純な高速化や自動化だけでなく、より高度な高速化やデータの自動処理の仕組みが必須となる。それを研究するのが情報科学技術なのである。

情報科学技術の「自動」という考え方の元には再帰という考え方がある。これは情報科学技術の自己増殖性という特質を生み出す。簡単にいえば、放っておいても自ら拡大していく性質である。したがって、情報科学技術である高度な高速化やデータの自動処理の仕組みは、さらに多くのデータを作り出すことにもなる。つまり、大量のデータをさばく技術は、同時に、大量のデータを作り出すという結果にもつながるのである。

電子的な高速化の上昇傾向は徐々にではあるが頭打ちになりつつある。しかしそれに変わって情報科学技術は通信技術の向上と共に大量のデータの流通をさらに推進化することになるだろう。

 

情報科学技術の影響:なぜ情報科学技術リテラシー

情報科学技術が社会にここまで影響を及ぼすようになったことの一次的要因は、情報処理が電子化できたこと、そして、様々なデータを高速に通信できるようになったことである。両者とも電気電子工学の成果といえるが、情報科学技術自身も重要な役割を担ってきた。たとえば、2進列化されたデータを分解して高速に送るという情報科学技術的な発想がデータの高速通信を実現させた。

そして二次的要因は、情報科学技術の研究の成果として複雑で大量のデータを自動的に処理する様々な情報科学技術が提供されたことである。人々がそれらを用いて比較的安易に、大量のデータを作り出し交換するようになったためである。情報科学技術の自己増殖性という特質は、良きにつけ悪しきにつけ情報科学技術が大きな影響を与えるもとになっている。たとえば、多くの人に同報通信ができる特徴を持つ電子メールは、緊急時の連絡のみならず日常でも大いに役立っている。しかし一方で、自己増殖性はコンピュータウイルスが爆発的に広まる原因にもなり得る。

こうした情報科学技術について、その原理や仕組み、そしてそれらの技術的な意味を知っておくことの必要性について、これまで述べてきた情報処理の本質や情報科学技術の特質から確認してみよう。

まず、情報科学技術のほとんどが目に見えないところで働いているという点がある。具体的には電子回路などで実現されているが、情報科学技術はその中で動いている目に見えない物である。さらに情報科学技術の変化の速さである。これは情報科学技術がまだまだ成長段階にあるためでもあるが、情報科学技術の特質であるとも考えられる。

残念ながら、目に見えない物に対して、その仕組みや特質を見抜くことのできる人は少ない。しかも目に見えるところだけを見ていただけでは、その変化の速さに惑わされる結果になってしまう。変化の速さや量の効果の影響を見過ごし、情報科学技術に対する誤った判断をもたらす可能性がある。

行政、企業、教育において責任ある地位にある人々が、こうした誤った判断をしてしまうと致命的な問題を生み出すことがある。こうした人たちが、実際に情報科学技術を使って情報処理システムを作るわけではない。しかし、どのような情報処理システムが必要か、という判断を下したり、でき上がった情報処理システムを運用していく際の規則や制度設計などを行うことは多いだろう。その際に、情報科学技術に対する誤った判断をした場合、それが社会に与える影響は非常に大きい。

個人レベルでも、情報科学技術に対する誤解が、その個人だけでなく、多くの人々へ被害を与えることもある。情報科学技術の高速性や自己増殖性は、個々の影響力をこれまでよりはるかに大きくしてしまう場合があるからである。

こうした「知らねば困る」という点がある一方で、情報科学技術には「知っていると豊かに暮らせる」という面も多くある。情報科学技術は単純な操作の組み合わせであり、多くの場合、それを修正・変更することも可能である。つまり、その仕組みさえわかれば、誰もが自分流に改変することが可能なのである。情報科学技術の速度の速い変化に惑わされることなく、自分流に情報科学技術を使っていくすべを得るためには、そう多くのことを学ぶ必要はない。

本部会報告で述べるのは、そうした情報科学技術に関する基本なのである。

 

コラム No. 1

だから情報学リテラシー

仮想の疑似通貨を使った出費をめぐる犯罪が摘発されている。現実の通貨で出資すると同額の仮想通貨が渡され、それを使って現実の物品を購入する。この仮想通貨を使い切ると、同額の仮想通貨が何回でも支給される。単純に考えると、初回の出資のみで無限に買い物ができることになる。こんなうまい話はないが、どこに落とし穴があるのだろうか。この状況を理解するためには、(数学ではなく)情報学的素養が必要である。上記の犯罪に対する疑問は、このシステムを数学的に、すなわち静的に把握することから発生する。これに対して計算を基本とする情報学の考え方によれば、システム全体は動的に計算されるのであり、静的なビューでは把握できない、この犯罪の実施側の最適プランは、実施側の身入りが最大になった時点で事業を中止することである。もちろん、中止した場合の社会的費用も考えに入れる必要がある。

情報学リテラシーは、数学リテラシーが与える静的なビューを格段と豊富にするのに大いに寄与する。この世の中の事象は、すべての条件設定をあらかじめ行なってから解いた解答として動いているのではなく、解となるシステムを取りまく環境が動的に変化し続けている中で発生し進行しているのである。しかもこれらの環境が情報システムに依存する度合はますます増大しており、それについてわれわれの生活自体もある種の仮想環境を前提とするようになってきている。「仕事がうまくゆかないよ、エイッ、リセットできないなあ」というCMがある。また「本物の喧嘩をしたことがないので肉体的な痛みに無知であることから、相手に深いダメージを与えてしまう」という議論がある。確かにその種の事件が多発している。これらは、我々の日常生活や感覚に、いかに仮想環境が浸透しているかを示している。

我々はもともとは自然環境の中で育ちながら、各種の知覚を発達させるとともに、その中で「うまく」生活するための知識や思考方法に親しんできた。多くの自然科学あるいは社会科学的な「リテラシー」はこのようにして醸成されてきたと言える。ひるがえって仮想環境についてはどうであろうか、システムの開発者達は、一般人を対象とする各種の仮想環境について、人ができる限り自然に接することができるようなインタフェースを作成するように努力する。しかし所詮は「作りもの」であり、長大な時間を経ている自然環境にかなう筈もない。さらに、情報システムの発達の速度が自然及び社会システムのそれに比べて異様なほどに速いという状況もある。そのような状況下では、仮想環境に全幅の信頼を置き自分では何も考えないというのではなく、その成り立ちについての基本的かつ普遍的な知識をもち、様々な状況に対処できる力を身につけておくことが必要である。これが情報学リテラシーであり、いわゆる「無知であることから(知ることによって)自由になれる」というリベラルアーツそのものなのである。

 

[1]「情報科学技術」といった場合、普通は研究の成果(システムやソフトウェア、あるいは理論的な成果)を意味する。ただし「情報科学の研究・開発」という行為と区別したい場合には、「成果としての情報科学技術」ということにする。