まえがき(2008年6月)

科学技術が対象とするものは、物質からエネルギーへ、エネルギーから情報へと広がってきた。とくに情報を扱う科学技術は、20世紀の後半に急速な立ち上がりをみせたのである。

ごくごく限られた人たちだけが使うことのできる超高価な装置であったコンピュータが、今ではありとあらゆる機器の中に埋め込まれ、有線・無線で互いに連携して動いている。瞬時にして世界中のニュースや記録の中から欲しい情報を探し出してくることができるし、これから出かける先までの安くて速い交通経路を知ることができる。現金を持たずとも買い物ができ、自宅から預金の振替もできれば株の売買もできる。昨日夢物語であったことが今日は現実になる勢いで我々の生活の中に生かされ便宜をもたらしている。

これらは、装置として実現させるための電気電子工学の技術、そして情報を扱う科学技術[1]の恩恵である。本専門部会では、主に後者に焦点をあてて、その本質を理解するための原理や仕組みを中心に解説する。

さて恩恵を与える一方で、情報科学技術は大きな社会問題にも関連している。大量の株が瞬時に誤って売買された結果、株式市場が機能停止に追い込まれたり、自動改札装置が一斉に誤作動を引き起こしたりする事件が起きる。便利なはずの電子メールに多量の広告メールが流され、それらを除去するのに多大な時間をとられてしまう。便利なはずのネットワークからウィルスが知らない間にやってきてコンピュータが機能不全に陥る。知らぬ間に蓄えておいたすべての記録が失われたり、流出してしまったりもする。これらは主に情報科学技術が適正に働かなかったり、誤って・不正に用いられたために生じた問題である。

情報科学技術は、人間が人間固有の能力だと信じてやまなかった「読み、書き、計算する」知能活動そのものを補強し代行してくれる。そしてなお、発展途上の科学技術分野であり、しかも急速な進展を続けているのである。それは、社会のあり方を変え、人間の行動そのものを変えていく。これまでの常識やモラルや社会的な仕組みのままで正しく対処できないことがらも次々と生じている。

こうした変化に流されることなく、情報科学技術を自らの生活の中に上手に取り込み、自らの知的活動が広がることを楽しみ、新しい社会の仕組みに参画していくには、その根幹にあるものを知っておくことが欠かせない。急速に進展し続ける科学技術分野だから、目の前に提供されてくる機能や機器や商品だけを追ったのでは今日の常識も明日の非常識になりかねない。情報科学技術の根幹にあるものを押さえておけば、次々と現れてくる新しいことがらにも自ら考え学んで対応していく心掛けを失うことなく、この科学技術の発展の中でも心豊かに過ごしていけるに違いない。

本報告書は、そのような情報科学技術の本質とそれにより得られる様々な技術的な恩恵について解説する。良い面も悪い面も合わせて、情報科学技術は社会に対して大きな影響を持つようになったが、どのような技術的な要因がそうさせたのか、についても述べる。

本部会の名称である「情報学」は、情報に関する学問の総称であり、情報に関する様々な研究が含まれている。しかし、本専門部会は、科学技術リテラシーについての提言をまとめるプロジェクトの中の専門部会である。その位置づけにおいて、情報学専門部会では、情報学の科学技術的な側面について議論し、本報告書もそれに沿った形でまとめた。

具体例でいえば、ブログ[2]の流行を可能にした科学技術について説明し、その科学技術の特性から来る制約や影響などまでは述べる。しかし、ブログという手段により行われる情報交換の社会的な影響やその分析などの議論までは踏み込まない、という考え方で本報告書を取りまとめた。これは広範な「情報学」の一部の分野にすぎないことをお断りしておく。

ここに解説したような情報を扱うための科学技術の根幹のほとんどは、一般の人々の目にふれることなく、日常で意識することはない。しかし、その正しい理解は21世紀を豊かに生きていくためには重要であり、とくに社会や企業を動かしていく人々には必須のことである。本報告書がその理解の一助になれば幸いである。

 

[1] 多少語感は異なるが記述を簡潔にするために、本報告書では「情報を扱う科学技術」を簡便に「情報科学技術」と略記する。

[2]ウェブページに日記や個人の見解を載せ、それを人々に公開すること。